隠岐神社(海士町)
夜には予約制の「隠岐神社まいり」を開催しており、昼間とは違った隠岐神社を楽しむことができる。(※2名以上の実施。)
隠岐神社桜並木 毎年4月上旬はたくさんの花見客が訪れる。
昭和14年(1939)、後鳥羽天皇の700年祭の年に、御神徳をひろめるために創建された。
神社は隠岐造りといわれる建築様式で、銅板葺きの本殿、祝詞舎、拝殿、神饌所、祭器庫、宝物館、神門回廊、社務所などからなり、
5万6,000平方メートルの境内には隠岐一とたたえられる桜並木が続いている。
4月14日と10月14日が例祭日で、後鳥羽天皇の御製「われこそはこゐじま守よ隠岐のあらきなみかぜ心してふけ」に楽と振りを付けた、 隠岐神社にだけ伝わる承久楽(じょうきゅうがく)が奉納される。
海士町とは
《選ばれし島...御食つ國・海士(みけつくに・あま)》
隠岐諸島 二つのエリア
日本海の島根半島沖合約60Kmに浮かぶ隠岐諸島の中の一つ中ノ島を「海士町」といい1島1町の小さな島。(面積33.46k㎡、周囲89.1㎞)
名水百選(天川の水)
奈良時代に高僧行基がこの地を訪れた際に、木蔭の洞窟から流れ出る湧き水に霊気を感じ、聖観音菩薩を祀る清水寺(せいすいじ)を建立した。そして、この湧水に「天から授かった天恵の水」という意味で「天川」と名づけたと言い伝えられる。
湧水量は1日約400トンに上ると言われ、豊富な湧き水は地域住民の生活用水や農業用水として長く重宝されてきた。常に清らかで澄んだ水が湧き出す天川であるが、地元の人々による水質保全活動により今日もその透明度が保たれている。
対馬暖流の影響を受けた豊かな海と、名水百選(天川の水)に選ばれた豊富な湧水に恵まれ、自給自足のできる半農半漁の島。
平城京跡から海士町の「干しアワビ」等が献上されていたことを示す木簡が発掘されるなど、古くから海産物の宝庫として御食つ國に位置づけられていた。
奈良時代から遠流の島として遣唐副使の小野篁をはじめ、承久の乱(1221年)に敗れ、ご配流の身となられた後鳥羽上皇は、在島17年余この島で生涯を終えられ、島民の畏敬の念はいまなお深い。
明治の文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、隠岐旅行の際「菱浦港」を最も気に入り8日間も滞在した。・・・小説「知られざる日本の面影~伯耆から隠岐へ」の中に著している。
GOTOBA-IN Ama つながる800
承久三年(1221年)− 令和三年(2021年)
2021年山陰広告賞 SPアーバンアド部門【銅賞】後鳥羽院遷幸八百年ロゴマーク 受賞
承久3年(1221)、後鳥羽院により発せられた鎌倉幕府の執権・北条義時追討の院宣に端を発する「承久の乱」※。
この戦いに朝廷方が敗れたことにより、後鳥羽院は隠岐島の海士町にお遷りになった。そして19年間過ごされた後、都に帰ることなくお隠れになられた。院が海土町へお遷りになって以降、令和3年(2021)で800年となる。海士町には後鳥羽院に由緒を持つ、たくさんの伝承と文化が豊かな自然環境とあいまって昇華され、今日に伝えられている。
隠岐神社神輿渡御
隠岐神社では800年を記念した神輿渡御を計画し、これにあわせて、神輿ルートにて後鳥羽院に親しめる催しを実施予定である。
開催日:令和3年9月11日(土)~12日(日)予定
後鳥羽院顕彰事業実行委員会では、後鳥羽院に学ぶ事はもちろんのこと、島の成り立ちや伝統的な暮らしも財産とし、今日的な価値判断の傾向も加えながら、未来につなげていきたいと考えている。
※800年前に起きた日本史上の重大事件「承久の乱」とは
「承久の乱」は、鎌倉幕府の樹立以後の13世紀初頭より実権を握った後鳥羽上皇と、北条氏率いる鎌倉御家人による合戦。
後鳥羽院像 伝藤原信実筆、水無瀬神宮 所蔵
12世紀における院政の展開、1180年代の内乱、そして東国での鎌倉幕府の樹立を経て、13世紀初頭には、後鳥羽上皇が列島を統べる体制が成立する。後鳥羽上皇は、勅撰集『新古今和歌集』に結実する和歌をはじめとして、多芸多能の帝王だった。
しかし承久3年(1221)、前代未聞の事件「承久の乱」が起こり、後鳥羽上皇が北条氏率いる鎌倉御家人に合戦で敗れ、隠岐に流された。この承久の乱を機に、鎌倉幕府の優位のもとで公家と武家が並存する時代となったが、やがてその体制にも終止符が打たれ、南北朝の内乱が展開することとなった。
後鳥羽院に由緒がある伝承と文化
後鳥羽院は今日でいう、文化、芸術、芸能、スポーツに親しまれ、その伝統の継承と発展に尽くされた。なかでも和歌については、藤原定家らに命じ勅撰『新古今和歌集』を編纂させたことが知られる。そして海士に遷られてからも『遠島御百首』をはじめ、800首近い歌を残されている。
例えば・・・
『和歌』『刀剣』『菊の紋』『牛突き』 『琵琶』『笠懸』 『蹴鞠』『相撲』等
「和歌」
後鳥羽院は、建久9年(1198)、第一皇子にあたる土御門天皇に譲位した後、院を構えて様々な事業を進められる。とりわけ詩歌に情熱を注がれ、近臣たちとの詠作を通じた活動の中で藤原定家や藤原家隆らの才能が認められていった。そして、建仁元年(1201)和歌所を設置し、勅撰『新古今和歌集』の編纂にあたらせた。
この『新古今和歌集』は元久2年(1205)に完成披露の催しがなされたが、その後も後鳥羽院は手を加えておられる。それは海士に遷られてからも続き、『隠岐本新古今和歌集』として伝わっている。その他に、隠岐の代表作として知られる『遠島御百首』をはじめ、800首近い歌が残されている。ご在島中、院のお心を支えたのは歌の道であったのかもしれない。
なお、隠岐の伝承によれば、院の代表歌である
「我こそは新島守よおきの海のあらき波風心してふけ」
は、院の御船が海士にご到着の直前に海が大しけとなったところ、この歌を院が船上で詠まれると嵐がおさまったとしている。今では隠岐の人々にとって特別な歌となっている。
以下は、ご在島中の和歌に関する代表的なご活動である。
『遠島御百首』
隠岐に遷られてから早期にまとめられた百首和歌。「春夏秋冬」に「雑」を加えた5部に分かれており、海士の四季折々の情景に、時には美しさを、時には都への想いを覚えながら詠まれたと解される。
命あれば茅が軒端の月もみつ知らぬは人の行くすえの空
おなじ世にまたすみのえの月や見む今日こそよそに隠岐の島守
『(隠岐本)新古今和歌集』
元久2年(鎌倉初期)に後鳥羽院の指揮のもと、完成を迎えた『新古今和歌集』であったが、院はその補訂を隠岐に遷られた後も続けられた。遠島の地では作品を増やす事はままならない。よって院は自らの手により完成された『隠岐本新古今和歌集』では、作業の過程で院御自身の歌が多く削除されたという。
後鳥羽院(外題より)/時代不同歌合 作者狩野勝川模 江戸時代 東京国立博物館 所蔵
後鳥羽院/時代不同歌合(外題より)2巻 京都国立博物館 所蔵
『遠島歌合』
隠岐に遷る以前より院に仕えた歌人・藤原家隆と共に執り行った歌合せ。歌合せとは、相対する歌人同士が短歌を詠み合い、その出来を競う催しである。後鳥羽院は隠岐の地にありながら、書状を用いて在京時に劣らない歌合せを成立させた。この歌合せにおいて、後鳥羽院は自身の作品と家隆のものとを競わせ、ただ一首の短歌を除いて家隆の勝ち、または引き分けとした。それが、次の一首である。
軒はあれて 誰れかみなせの 宿の月
過ぎにしままの 色や淋しき
賓客である家隆の短歌を退けてしまうほどに、後鳥羽院の都への郷愁の念は強いものであったのだろう。
「刀剣」
太刀(菊紋)名物 菊一文字 徳川美術館 所蔵
茎に菊紋のある太刀は「菊御作(きくごさく)」と呼ばれ、後鳥羽上皇の御作と伝えられる。後鳥羽上皇は、いわゆる御番鍛冶(ごばんかじ)を定めて各地から名工を招聘し、月番で作刀させたうえ、自らも鍛造したという。本刀は菊紋がわずかに確認でき、備前国一文字風であるため「菊一文字」と呼ばれる。寛永2年(1625)に2代将軍秀忠三男の忠長から尾張家初代義直が譲り受けた。その後、尾張家5代五郎太(1711〜13)の時代に父・吉通 の建中寺廟に奉納され、明治時代に尾張家へ戻された。
【鎌倉時代 13世紀】刃長72.5 反り2.3 茎長13.3
後鳥羽院は刀剣の文化にも関わりが深いことで知られている。刀剣に情熱を注がれた理由として、三種の神器の一つ「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」にまつわるエピソードが有名である。
後鳥羽院のもとに仕えた刀匠は、後に「御番鍛冶」と称されるようになった。院自らも作刀をなされたとの伝えもあるほどで、刀の価値や刀匠の地位を高めたのはもちろんのこと、自らの手で最高のものを作り出そうと先頭に立つお姿が日本の精神文化に影響を与えたとされている。
その由緒により、隠岐神社創建時、昭和の名匠から「昭和御番鍛冶」を選定し、院を祀る神前に相応しい昭和の名刀が奉納された。なお、その刀剣は海士町後鳥羽院資料館※に展示されている。
※海士町後鳥羽院資料館
海士町後鳥羽院資料館は、隠岐神社の前にある。
二階建ての館内に後鳥羽天皇ゆかりの品々などを中心に、考古資料や民俗資料など貴重な資料が展示されて、周囲には後鳥羽天皇行在所跡や御火葬塚、その墓守を代々務める村上家などが隣接している。
住所
島根県隠岐郡海士町海士1521-1 電話 08514-2-1470
営業時間
9:00~17:00(3月~11月)
「菊の紋」
後鳥羽院のもとで生まれた刀剣の内、院の目に特に適った作品には、院がお認めになった印しとして菊花紋が刻まれた。この作品は「菊御作(きくごさく)」と称され、刀剣文化史上の名作として知られている。そして、この菊花紋が、現在の皇室の菊のご紋章の起源とされている。
「牛突き」
三穂神社
後鳥羽院がお泊りになった三穂神社
今でも島後で盛大に行われている牛突きは、後鳥羽院にまつわる神事とされている。
隠岐に渡られた後鳥羽院は、海士の南端にある崎に上陸され、氏神神社である三穂神社に一晩お泊りになった。翌日、陸路で行在所に向かわれることとなるが、その途中、国原(くんばら、今の海士町の西地区)のあたりの牧で牛が頭を突き合わせていたのをご覧になった。
牛突き
その様子が、都で目にされた『鳥獣戯画』の一部に似ていたことから、院はお喜びになられた。この伝承を機として、かつては後鳥羽院神社の祭礼日に、院の御霊と島民がともに楽しむ神事として「牛突き」が続けられてきた。
残念ながら、その始まりの地である海士においては、明治以降は定期的な牛突き奉納は途絶えてしまっている・・・
この度、800年をお祝いして隠岐の牛突き文化に関する事業を検討しています。
お愉しみ下さい!
開催日:令和4年
後鳥羽院外伝
皇の松
皇の松伝承地
1221(承久3)年、後鳥羽上皇が配流され、隠岐へ向かう途上、この松のたもとで休憩を取ったといわれる。また、ここで奉仕した住民に歌を賜ったとされている。
初代の松は1897(明治30)年に枯れた。現在の松は5代目となり2013(平成25)年5月、第64回全国植樹祭が鳥取県内で開催された際、「隠岐交流友好松」として、隠岐の地より献木された。後鳥羽上皇の歌碑も1930(昭和5)年8月に建てられている。
所在 〒684-0033鳥取県境港市上道町3078
神剣奉天神事 日御碕神社
出雲市大社町日御碕の日御碕神社で毎年大晦日に行われる神事。日御碕神社は、上の宮に素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、下の宮に天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っている。この神社の宮司小野家は素盞嗚尊五世の孫天葺根命(あめのふきねのみこと)の後裔と伝えている。天葦根命は、素盞嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき、その尾から出たという草薙剣(くさなぎのつるぎ)、もとの名は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といわれる神剣を素盞嗚尊の使者として、天照大神に献上したといわれる。この故事にちなんで、12月31日の深夜、小野宮司ただ1人で、天一山(あまかずやま)に登って行われる神秘的な神事である。
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)
天照大御神を祀る下の本社と神素盞嗚尊を祀る上の本社とが建つ。
日沈の宮や日沉の宮と呼ばれる下の本社は、約1000年前、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対して「日の本の夜を守れ」との村上天皇の時代に勅命によって祀られた。
神の宮と呼ばれる上の本社は、約2500年前に安寧天皇の勅命によって祀られた。現在では総称して日御碕神社・日御碕大神宮と呼ばれている。
昭和二十八年には、社殿のすべてと境内の石造建築物も含め、国指定重要文化財とされた。
住所 島根県出雲市大社町日御碕455
経島(ふみしま)
天照大神が現在の日御碕神社に祀られる前に鎮座されていたといわれる島である。ウミネコの繁殖地としても有名で、国の天然記念物に指定されている。伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、「日の本の夜を守る」日御碕神社で、年に一度8月7日に夕日の祭り『神幸神事』が斎行される。日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができるとされている。
■予定されている800年記念事業
令和3年(2021) ※この他にも計画中
■島一周神輿渡御 9/11(土)~12(日)
■隠岐神社記念大祭 10/16(土)~17(日)
■島民劇「海士のごとばんさん」上演 10/16(土)夕刻
■平成御番鍛治任命式と「奉納刀 神前打ち」 10/17(日) 令和4年(2022)
■献茶式 6月頃
■平成御番鍛治「刀剣奉納」 10月頃
■牛突き文化に関する行事
■詩歌関連の行事
次回に続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
後鳥羽院顕彰事業実行委員会
一般社団法人 海士町観光協会
〒684-0404 島根県隠岐郡海士町福井1365-5 電話: 08514-2-0101
海士町役場 〒684-0403 島根県隠岐郡海士町海士1490 電話: 08514-2-0111
隠岐観光協会
〒685-0015 島根県隠岐郡隠岐の島町港町塩口24 隠岐合同庁舎別館1階
電話:08512-2-1577
公益社団法人島根県観光連盟 〒690-8501 島根県松江市殿町1番地 電話:0852-21-3969
一般社団法人境港観光協会 〒684-0046 鳥取県境港市竹内団地255-3 電話:0859-47-3880
徳川美術館〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1017 電話: 052-935-6262
水無瀬神宮 〒618-0011 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24 電話:075-961-0078
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話:03(5253)4111
島根県関連情報のご案内。下記のアーカイブ リンク記事をご覧ください。
ZIPANG-2 TOKIO 2020
「 八雲立つ出雲の国が神の国 ~出雲大社~ 八百萬の神々と共に 」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5479758/
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~ 出雲大社『遷宮渡し』~「さらにより良き御遷宮をの思い 平成31年3月までに…新元号、4月1日に事前公表へ 」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5486470/
ZIPANG-4 TOKIO 2020
神々集う出雲大社 ‘‘神在月” のお祭りとは〜〝しあわせの御縁〟を結ぶ神々のサミット〜
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7262895/
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~ 石州瓦物語(外伝)~ 「石州瓦は赤瓦だけじゃない!『ブラタモリ 出雲(いずも)』【寄稿文】佐々木啓隆」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5496350/
ZIPANG-4 TOKIO 2020 ~ なつかしの国 石見 ~(4)石見神楽 恵比須と美保神社
出雲大社のみの参詣は「片参り」と昔からいわれ、出雲大社参詣の際は必ず美保神社へもお参りする習わしとなっていました。
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7809163/
ZIPANG-5 TOKIO 2020【黄金の島 ジパング 2020】松江市が贈る冬の風物詩 & 島根半島の聖なる岬「美保関」で歴史と伝統を堪能
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11735305/
ZIPANG TOKIO 2020
「 最高の魅力『日本文化伝統の薫り』徳川御三家筆頭尾張徳川家の徳川美術館 」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2570027/
ZIPANG-3 TOKIO 2020「 神武天皇が即位された日を建国の日として祝う祭典【紀元祭】 富士山本宮浅間大社にて行われました。明日は月例祭です!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5721165
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~日本武尊(ヤマトタケル)も歩いた中山道・大湫宿~「国登録有形文化財 森川訓行家住宅主屋(丸森)はじめ伝統建築の活きる町!」瑞浪(その3)
ヤマトタケルの東征や三種の神器に関わる熱田神宮、内津神社が登場します。
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5118608/
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ヤマタノオロチ伝説(雲南市)「 スサノオノミコト と クシナダヒメ と その御子の磐座 源流 」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6743067/
ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 松江藩大鉄師『絲原家』 とは・・・絲原記念館・登録有形文化財住宅・国名勝庭園について 【第四話】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5855524/
ZIPANG-3 TOKIO 2020 縄文早期末・前期(6500~7000年前)「対馬の縄文人は中国に古代文明が生まれる前から、九州と朝鮮半島を小船で往来【寄稿文10】西 護」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5860708
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~昔ながらの伊勢参りとは~「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り(1)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5732084/
ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~昔ながらの伊勢参りとは~「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り(2) おはらい町~伊勢神宮の鬼門を守る名刹~斎王の斎宮」
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