原初的な皮つきの杉で作った黒木の鳥居
本殿は、最も古い神社の建築様式の一つである神明造
古の佇まい(たたずまい)
古来の建築様式と太古の森
本殿は、神宮と同じ最も古い神社の建築様式の一つである神明造です。また、屋根は茅葺です。茅葺の神明造というのは全国的にも少ないようです。
また、皮つきの杉で作った黒木の鳥居は、最も素朴で原初的な鳥居で、この形式を伝える神社もあまり例がありません。このように当社は、古来の簡素で素朴な建築様式を今に伝えています。
さらに、社殿を囲む巨木や鬱蒼たる天然の深い森、そこには昔のままの神社のたたずまいが残されています。 日本文化は、頭で理解するものでなく体で感じるものです。
漂う神々の霊気に触れ、神と自然が融け合うこの神域に身を委ね、日本人の心を体感してみてください。 皇大神社の鎮座する宮山はシイを中心とした常緑広葉樹の自然林で、当地域一帯は、丹後天橋立大江山国定公園に指定されています。
春は桜のあや衣 秋は紅葉の唐錦 夏は涼しき月の絹 冬は真白き雪の布
見よや人々美しき この天然の織物を 手際見事に織り給う 神のたくみの尊しや
(武島羽衣作詞「美しき天然」二番)
日室ヶ岳遙拝所
皇大神社から天岩戸神社に向かって約200mのところに日室ヶ岳遙拝所があります。
ピラミッドに似た日室ヶ岳(岩戸山)は、原生林におおわれた神霊降臨の神体山です。
その頂上には磐座らしき巨岩もあり、皇大神社はもとこの山頂にあったとの伝承もあります。
また、日室ヶ岳遙拝所は、「一願さん」と呼ばれ「一つだけ願い事をすれば叶う」という一願成就の信仰が古くから伝えられています。
夏至の日には「夏越の大祓」が行われ、遥拝所から拝むと太陽が頂上に沈みます。まさに神霊降臨の神秘の瞬間です。
日室ヶ岳の四季
春は桜のあや衣
夏は涼しき月の絹
秋は紅葉の唐錦
冬は真白き雪の布・・・神のたくみの尊しや
遙拝所から拝む東斜面は、禁足(登ってはいけない)地とされてきました。このため、すぐれた天然林を育み、貴重な植生が自生するなど、専門家にも注目されています。
当地域は、大江山(千丈ヶ嶽)に源を発する宮川の渓谷、渓流の巨岩の上に立つ天岩戸神社の本殿、御座石、神楽岩などの由緒のある地物が一体となって、渓谷の両岸を覆う天然林と密接に結びつき、すぐれた歴史的風土が保持されていることから、京都府歴史的自然環境保全地域に指定されています。
日出の奇麻知(くしまち)
冬至の日に太陽が昇る方向、東北東は古代人にとって最も神秘な太陽崇敬の線とされています。丹後の与謝の石鳥居から東南東を望むと、大江山千丈ヶ嶽(与謝の大山)、元伊勢内宮(吉佐宮)、伊勢両宮とは一直線で貫かれています。
古代、与謝の里人が、冬至の日に太陽が昇るのを拝した神秘な線です。冬至は最も日が短く、太陽の力が一番弱い日です。この日を境に少しずつ日が長くなり、太陽の復活現象が起こる日です。古代人はこの日の太陽の昇る方向を神秘視しました。
近畿五芒星
近畿地方にある5つの聖地、伊吹山、元伊勢、伊弉諾神宮、熊野本宮大社、伊勢神宮内宮。この聖地を結ぶと一辺170kmの巨大な五芒星が現れるようです。この近畿五芒星の聖地の一つとしてもお参りがあります。
京極高国奉建立納札
当社には60年毎の式年造替の定めがありました。歴代宮津藩主の崇敬が厚く、明暦2年(1656)の社殿造営にあたり、京極高国が時の将軍徳川家綱の疱瘡平癒の祈願のため修築費用を寄進したことを記した棟札が残っています。また元禄14年(1701)には藩主奥平氏が社領を寄進、以後、永井氏・阿部氏の時代にも引き継がれています。写真の棟札は高さ98㎝です。
狛犬
笏谷石(しゃくだにいし)で作られた、ともに高さ30㎝に満たない小狛犬ですが、「元和7年(1621)7月吉日 越前國三國新保村 助左衛門寄進」、「安政三辰(1856)冬願主申年女 同江戸佐山氏」の銘があり、古くから越前や江戸という遠隔の衆庶から崇敬を集めていたことがうかがえます。
笏谷石というのは、福井市の足羽山で採掘される石材で、約1600万年前の火山活動で降りつもった灰が固まってできた火山礫凝灰岩です。
元伊勢三社とは
福知山市大江町の皇大神社(元伊勢内宮)と豊受大神社(元伊勢外宮)は、伊勢神宮の元宮といわれ、天岩戸神社とともに元伊勢三社として知られています。
いずれも古来の深い森を有し永い間信仰の対象とされてきました。
平成19年、元伊勢三社の境内一帯は、丹後天橋立大江山国定公園に指定されました。
元伊勢外宮 豊受大神社
ご祭神は豊受大神で、衣食住を始め広く産業の守護神とされています。この地に天照大神がご鎮座されたとき、豊受大神を合わせお祀りされたのが創始と伝えられています。
4年後、天照大神はさらに聖地を求め諸所を経て、現在の伊勢神宮にご鎮座されました。そして雄略天皇の22年「但波の比沼真名井に坐せる豊受大神を吾がもとに呼び寄せよ」との天照大神のお告げがあり、現在の伊勢外宮の地にお祀りされたと伝えられています。
こうしたことから一般的には元伊勢外宮と呼ばれています。
9月第1日曜日には八朔祭礼があり、大鳥毛練り込み奴道中が繰り広げられます。大鳥毛を投げ渡しする勇壮な行事です。
天岩戸神社
日室岳の下を流れる宮川渓流に、秘境天岩戸神社があり、岩壁にはりつくように鎮座しています。天照皇大神がお隠れになったという伝説の地。天降った神々が座したと伝えられる巨大な岩「御座石」、神楽を舞ったと伝えられる岩「神楽石」など巨岩とうっそうと茂る森が、神秘的な雰囲気を感じさせます。
この少し下流には神様が湯あみをしたという産釜・産だらいという大きな甌穴(水の流れが小石を転がしてできた岩のくぼみ)があり、日照りの年でも水が湧き出てくると言い伝えられています。
大本教の開祖出口ナオ、王仁三郎は、当地を元伊勢として尊崇していたことが知られています。天岩戸神社にある産釜・産だらいの岩穴の霊水「生粋の水晶のお水」を汲み取り、これをご神水とされました。
こんな魅力も
モリアオガエル
境内の池にはたくさんのモリアオガエル生息。池の上の木の枝に毎年たくさんの卵を産み付けます。5月上旬から生み始め、6月下旬ごろまで確認できます。多い時には150個を超える卵塊を見ることができます。早朝には産卵風景が見られるかも。(マムシには気を付けて下さい)
ヒメハルゼミ
昭和初年につくられ、地域の青年団や処女会、小学校で歌われ、運動会等には踊られていました。作詞は、当時の宮司であった小野常吉氏です。
長く途絶えていましたが、平成7年、地元門前町「内宮」で伝統芸能保存会を組織し、平成23年まで皇大神社の例祭で奉納されてきました。歌詞は10番まであります。 下の写真は、元伊勢小唄の歌詞が印刷されている戦前の絵葉書です。
元伊勢小唄
下の写真は、戦前の神社等の絵葉書に元伊勢小唄の歌詞が印刷されているものです。
西国巡礼にみる元伊勢
江戸時代は、おかげ参りや西国33所巡礼が盛んで、また、当地が参勤交代の通路になったため、歴代の宮津藩主の尊崇を受けるなど、参拝者も広がりをみせました。
舞鶴市の糸井文庫には、当時の西国巡礼の旅日記が十数冊所蔵されています。その中でも大阪の旅人が文政3年(1820)に書き残した『西国巡礼略打道中記』は、当時の様子が、彩色の絵入りで詳しく記されています。あとから旅をされる方を意識して書かれており、当時の観光案内書ともいえるものです。(上記画像は、『西国巡礼略打道中記』(舞鶴市所蔵)の一部です。)
鳥瞰図にみる元伊勢
鳥瞰図とは、大空高く舞い上がった鳥が地上を見下ろしたら、こんなふうに見えるだろうというように書かれた地図です。「大正の広重」とも評された京都生まれの鳥瞰図作家「吉田初三郎」が描いた、左右の端をU字に曲げ大胆なデフォルメを施した独特の絵図は、旅行パンフレットに取り入れられ多数出版されました。
下の3点(国際日本文化研究センターのデータベース)はいずれも大正13年の制作です。当時の名所案内もあります。
北丹鉄道沿線名所案内
宮津橋立名所圖繪
新舞鶴圖繪
年中行事
元旦祭(1月1日)初詣
毎年正月中に北近畿一円から迎える大勢の初詣客は、この一年の様々な願いをこめて神前に深い祈りを捧げます。この情景は、
「日本が ここにあつまる 初詣」
と詠んだ俳人山口誓子の秀句を思い出させます。
節分祭(令和3年は2月2日になります)厄除け
►三鬼打ち神事
人に災いをもたらす三鬼(病鬼・陰鬼・貧鬼)に、豆を撒いて神前に追い込み、お祓いをして病鬼を元気に、陰鬼を陽気、貧鬼を富貴のお多福に変身させる厄除神事です。
►盃割り・布八つ裂き神事
「鬼呼び藁づと」「鬼追い箒」などで鬼を御門神社に誘い込みます。神酒をいただき、盃(かわらけ)を洞窟内の厄除石で割り、白布を八つ裂きにし、鬼(厄)を洞窟に追い込んで厄祓いをします。
►八方除け詣
小宮(境内社80余社)を一社一社参拝して、四方八方の厄を祓い、新たな春を迎えます。
立春祭(2月3日)
節分の翌日にあたり春の始まりや新しい年をお祝い申し上げる祭典です。
春季例祭(4月26日)御神楽
地元子女により、元伊勢太々神楽が古式床しく奉納されます。天地の始まりに伴って誕生した神代七代(かみよななよ)、そしてそれに続く地神5代の神々(天照大神からの5代、神武天皇の前まで日本を治めた神)をお迎えし、神楽を舞い、お神酒をお供えし、湯立をする神事です。
一般的に湯立ての神事は、大きな釜に熱湯を沸かし、笹を浸して撒きます。その湯を浴びることで、無病息災や五穀豊穣が叶うとされる行事です。当神社では、熱湯を切幣に変えて行われます。
西国巡礼略打道中記(1820)に「毎年三月の廿六日にハ 太々神楽がある。きんざいより多くさんけいがありて にぎハしく候」と記されていることから、少なくとも2百年以上続く神事と考えられます。
夏越の大祓(夏至の日)
夏至の日の午後5時頃、遙拝所から神体山と伝えられる日室ヶ岳を拝むと、その頂上に太陽が沈みます。これに合わせ、半年間の罪穢れを祓いこれから迎える暑い夏を無事過ごせるように夏越の大祓いがおこなわれます。大祓詞を参拝者全員で奏和し、切幣で自己祓いをします。
八朔祭(9月第1日曜日)練り込み
稲をはじめとする五穀豊穣を祈願する祭りです。地元では笹ばやしの伴奏で大鳥毛を受け渡しするなど勇壮練り込む大名行列が行われます。
古文書によると「明暦4年(1658)の夏、大旱魃であり、憂慮した宮津藩は、検地奉行を遣わし、河守郷13か村の村役人ともども元伊勢へ祈願、岩戸で雨乞いをした。すると大蛇が現れ、役人たちを一呑みにしようとしたので、笹ばやしと練込みをしてお祭りするからと嘆願した。大蛇はなおそのままであったので、毎年8月の朔日に13か村こぞって祭礼をすると約束したところ大蛇は姿を消し、待望の雨が降った」といい、この故事によって八朔が始まったといわれます。
戦前までは、村々から元伊勢外宮・内宮に練り込みや大名行列が出る壮大な祭りでした。戦後は途絶えていましたが、多くの村で復活し、元伊勢三社のある河守上地区では9月第1日曜日に、それ以外の村では10月の秋祭りに行われています。ただ近年、高齢化や人口減により地元内宮では継続が難しくなってきました。
年越しの大祓
半年間の罪穢れを祓い、新たな年を迎えるために心身を清めます。
厄年・祝寿
令和3年厄年早見表(数え年)
※数え年は、満年齢に誕生日前は2歳、誕生日後は1歳を加えた年です。
(数え年は、生まれた時を1歳とし、新年をを迎えるごとに1歳を加えます。)
厄年の方は、厄神さんの本宗をお祀りする御門神社にもお参りください。
出張祭典
神職が現地に赴き祭典をご奉仕し、その土地の神々にその土地の安全と安寧と平安、日々の生活への感謝などをご祈願申し上げます。
地鎮祭、竣工式、上棟式、新築清祓、土地の清祓、古井戸清祓、会社・店舗開所式、神棚祭等の祭典をご奉仕。
日時や場所・準備物など詳細の打ち合わせが必要です、電話にてご相談ください。
電話:0773-56-1011(受付時間:午前9時~午後4時)
FAX:0773-56-1111
皇大神社(元伊勢内宮)からのメッセージ
ご祈祷
私たちの暮らしは、いつも神様に見守られています。人生における節目の年に、神様に奉告をし、感謝をし、そして自己を見つめ直すことで、私たちの生活はより豊かで安らぎのあるものになるのではないでしょうか。当神社では、皆様の幸せを願い、様々なご祈祷を執り行っています。
ご予約・お問い合わせ先 電話:0773-56-1011
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(敬称略)
皇大神社(元伊勢内宮) 〒620-0323 京都府福知山市大江町内宮217 電話:0773-56-1011
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