ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~曹洞宗 光明寺~  樹木葬「裾野の森」とは


光明寺「六地蔵」

季節に応じて色彩と衣装が変わります~何方が着せ替えてあげてるのかな⁈


日本一の山「富士山」を借景に建つ光明寺~何と贅沢なこと~


月は出ているけれど、こんなにも明るいなんて…お寺の名前ですか?勿論「光明寺」です。


光明寺の歴史

歴史と逸話

箱根(強羅公園)


芦ノ湖と絵にも描けない富士山の眺め・・・


夕景(富士山・箱根の山々)


光明寺は静岡県東部の裾野市公文名(くもみょう)に位置します。
裾野市は、県内では三島市・御殿場市・駿東郡長泉町・富士市に隣接し、東側は神奈川県足柄下郡箱根町と隣接しています。公文名のすぐ東側には箱根山があり、光明寺から芦ノ湖までは直線距離で8kmほどです。


『裾野市史』によれば、公文名からは縄文時代のものと推定される日向遺跡と丸山Ⅱ遺跡が発見されており、ちょうど光明寺の裏山にあたる場所にも丸山Ⅰ遺跡があります。丸山Ⅰ遺跡からは土器片が発掘されていることから、縄文時代終末期から弥生時代初頭の遺跡であると考えられています。


公文名では中世までさかのぼることのできる集落の形成は確認することはできないようですが、佐野郷に含まれ葛山氏の支配を受けていた時期もあったとのことです。近世の公文名村は、寛永9年(1632年)から小田原藩領、宝永5年(1708年)から幕領、享保元年(1716年)から再び小田原藩領となり幕末まで続いたとのことです。


光明寺には残念ながら歴史的資料が残っておらず、寺史についてははっきりしたことがわかっておりません。しかしながら、平安時代後期の作と考えられている毘沙門天と不動明王など歴史的価値のある仏像が多数奉安されていることもあり、「曹洞宗以前は真言宗の大寺院であった」ということと、「豊臣秀吉の小田原攻めの際に火を放たれた」ため歴史的資料が現存していないということが、代々山内で言い伝えられております。


この地域の歴史的資料である『駿河記』と『駿河志料』に少しだけ光明寺に関する記述がありますのでご紹介いたします。


文政3年(1820年)に島田の桑原藤泰(黙斎)によって完成された地誌である『駿河記』巻三十二の公文名の項目を要約すると、「弘法大師が開基であり大同3年(808年)草創で旧真言宗であること」が記されています。


駿河記(国会図書館デジタルコレクション)


文久元年(1861年)、新宮高平によって著された地誌『駿河志料』巻之六十七の公文名の項目を引用すると、「もと真言の古蹟にて、往時は七堂伽藍の大地なりしが、破頽せしを、永禄年中曹洞派の僧、明綱英震中興して後禅刹となれり」と真言宗時代の繁栄ぶりを窺うことができます。


近隣寺院にも弘法大師との縁起が伝えられておりますが、確かな資料が残っておらず空海の伝承に結び付けられたものとも考えられています。開山堂には「當寺元祖空海上人弘法大師 聖位」という古いお位牌が残っており、曹洞宗以前は真言宗寺院であったことについては間違いなさそうです。


また、開山堂には「光明寺殿天養圓心大居士 正和3(1314)年12月8日」のお位牌があり、開基もしくは中興開基のものであると考えられますが、『駿河記』にも「誰人か未詳」とありどなたのお位牌かわかっておりません。しかしながら、遅くともこの時には光明寺が草創されたと考えられることから、少なくとも700年以上の歴史があると考えられております。


 その後、曹洞宗に改宗してからの歴史については、近隣の寺院との繋がりからある程度のことが分かっております。


永禄元(1558)年に裾野市桃園にある御本寺定輪寺7世の明綱英晨大和尚が開山となり、曹洞宗般若山光明寺となりました。


曹洞宗とは

大本山 永平寺(福井県吉田郡永平寺町)


大本山 總持寺(神奈川県横浜市)

 

曹洞宗では、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)を御本尊とし、福井県にある大本山永平寺を開いた道元禅師(高祖承陽大師)と横浜市にある大本山總持寺を開いた瑩山禅師(太祖常済大師)のお二人の祖師(両祖)を「一仏両祖」として仰ぎます。

お釈迦さまに始まり歴代のお祖師さまによって受け継がれてきた「正伝の仏法」を依りどころとし、坐禅の実践(「只管打坐」)を通して、その身がそのまま仏の姿であること(「即心是仏」)を自覚することを宗旨に掲げています。


それに続く大きな事柄は歴史の教科書にも出てくる「豊臣秀吉の小田原攻め」に関連したものです。 豊臣秀吉の小田原攻めについて、裾野市の資料に書かれており要約すると以下の通りです。 (残念ながら当該ページのコピーしか残っておらず原典は不明です。) 


参考資料

小田原城天守閣

天下統一をすすめていた豊臣秀吉は中国地方の毛利氏や九州地方の島津氏を勢力下におさめ、関東地方に力を伸ばすため小田原の北条氏を攻めることになった。天正18(1590)年3月、東海道を東に向けて出発した秀吉の軍は駿河に入った。北条側も韮山城・山中城・足柄城の防備をかため、本隊は小田原城に引きこもり迎え撃つ態勢を築いた。


その後、北条氏は小田原城に3ヶ月籠城したが、内部は次第に動揺し、大きな戦いもないまま7月5日についに北条側が降伏した。北条氏直は高野山に追放され、氏政・氏照は切腹した。こうして秀吉は、関東平定の手がかりをつくり、全国統一の歩みを進めることができた。


この戦いの折、秀吉軍は公文名の光明寺に火を放って七堂伽藍を焼き払い、その明かりを頼りに箱根の山道を小田原に攻め上がったという言い伝えが今も残っている。


また、この資料とは別に、この小田原攻めにまつわる話には後日談が地域に伝えられております。


光明寺に火がつけられたために、不動明王と毘沙門天を僧侶が近くの湿田に埋めて隠したそうです。その後、湿田から「痛い、痛い」と声が聞こえたことから掘り返してみると仏像が見つかったとのことです。毘沙門天の手が折れており、補修されていますが、その時に折れたものだと伝わっています。


光明寺は、このような災難を経験しながらも曹洞宗寺院として受け継がれ、1558年の御開山様以来曹洞宗で27人目の住職が現在務めております。


参考文献

裾野市編さん専門委員会『裾野市史』裾野市発行
桑原藤泰『駿河記 下巻』臨川書店,1932年,p.702
中村高平『駿河志料 第5編』静岡郷土研究会,1930年,p.702


光明寺の仏像

光明寺の御本尊は地蔵菩薩で、その他に大日如来、阿弥陀如来、薬師如来、不動明王、毘沙門天などの古仏を安置し、日々檀信徒各家先祖代々のご供養や世界平和祈願などの各種祈祷法要のお勤めをしております。 仏像については裾野市教育委員会編集発行の『裾野の仏像 裾野市内仏像悉皆調査報告書』平成13年発行に詳しく記載されておりますので、その調査結果を引用しご紹介いたします。


引用文献

裾野市教育委員会『裾野の仏像 裾野市内仏像悉皆調査報告書』コウワ印刷,平成13年,p.109


本堂に安置されている仏像

地蔵菩薩踏下像(じぞうぼさつふみさげぞう)


【法量】像高83.4cm 

【概要】木造(寄木造)、玉眼、彩色

【制作年代】(面部)南北朝時代、(体部)江戸時代

当寺本尊として本堂中央壇上に安置される。
左手で宝珠を捧げ持ち、右手は錫杖を執り、左足を台座より垂下させて坐す。服制は衲衣、偏衫を着け、袈裟を懸け、裙を着ける。


寄木造で、玉眼を嵌入し、現状は後補の彩色で覆われる。
構造は、頭部は耳後ろを通る線で前後矧ぎとし、三道下で挿し込む。体幹部も前後矧ぎを基本し、薄いマチ材を挟む。

さらに両体側部材、脚部材、垂下部材、両前膊部材を各矧ぎ付け、両手首先を挿し込む。頭、体部に内刳りを施し、体幹部前面材の背面寄り部分を板状に刳り残す。

像背面に四角い窓を開け、金具にて開閉できる構造としている。
像内には寛延二年(1749年)等の年記と共に多数の結縁者名などが記され、また、木札二枚(寛政九年及び慶應3年)、大般若波羅蜜多経一冊、般若理趣 経一冊が納入されていた。


本像は全体のプロポーションの上では、頭部がかなり小さいことが目立つ。また、表現の上でも、頭部は肉付けに細やかな抑揚をもつのに対し、体部ではそれがかなり概念的な造形となっており、衣文も形式化している。これらの点から、本像は頭部と体部は別作と判断される。このうち頭部は力強く男性的な顔立ちながら、やや癖のある表情を見せることから、南北朝時代の制作とみられる。

一方、体部は江戸時代の補造と思われ、像内の銘記に記される寛延三年頃がその制作時期と考えられる。また、銘札により、寛政九年(1797年)に修理が行われたことも判明する。

本像は体部が補造であるのは惜しまれるが、頭部は優れた中世の作風を伝えており、また、像内に銘記や納入品を残しているのも市内では希少であり、この面からも重要な作例といえよう。 


薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)


【法量】像高99.0cm

【概要】木造(寄木造)、玉眼、肉身部漆箔、着衣部褐色漆塗

【制作年代】江戸時代


感応堂に安置されている仏像

大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)


【法量】像高54.1cm

【概要】木造(寄木造)、玉眼、肉身部漆箔、着衣部漆塗

【制作年代】室町時代 当寺感応堂に本尊格として壇上に安置される。

大日如来像は、智拳印を結ぶ金剛界大日如来で、垂髻を結い、条帛、裙を着け、右足を上に結跏趺坐する。

寄木造で、玉眼を嵌入し、肉身部を漆箔、着衣部を褐色漆塗りとする。構造は、頭部は耳後ろを通る線で前後二材矧ぎとし、体幹部に挿し込む。体幹部は前後二材矧ぎを基本とし、前材と後材の間には、肩部及び地付きの上下二箇所で奥行きを稼ぐ材を挟む。脚部材、裙先材を矧ぎ寄せ、両腰脇には前後二材を寄せる。

頭、体部には内刳りを施す。左手は肩、肘、手首で、右手は上膊半ばと手首で矧ぐ。髻は三材、天冠台部は五材よりなる。

像表面を後補とするか、左耳朶、頭髪部正面右側、白毫を亡失する。


如来坐像(にょらいざぞう)(伝阿弥陀如来)


【法量】像高88.6cm

【概要】木造(寄木造)、玉眼、肉身部漆箔、着衣部漆塗

【制作年代】室町時代

如来坐像は、左手は五指を伸ばして膝上で仰ぎ、右手は肘を前方に曲げ、やはり五指を伸ばして掌を前へ向けて立てており、いわゆる施無畏・与願の印を結ぶ。衲衣、裙を着け、結跏趺坐する。

構造は大略大日如来像と同様である。ただし、左体側部では肩から地付きに至る前後二材を矧ぎ付け、前膊部材を載せ矧ぎ、手首先を挿し込む。また、右手は肘、手首で矧ぐ。左眼、像表面を後補とし、頭頂部、左袖口、指先の一部などを亡失する。

この二躯は、頭部をやや大きめに造り、奥行きをかなり深く取る体形、現実的で一種粘りあるような癖をもつ顔立ち、概念的な衣文表現などの作風が共通しており、加えて法量も相近いことから、両像は一具の像とみられる。

制作時期は右記作風からみて、室町時代中期頃と考えられる。等身サイズを測る室町時代の本格的作例として、市内では重要な存在である。

伝阿弥陀像は手勢からすれば阿弥陀如来とは思われず、釈迦如来もしくは薬師如来等の可能性もあるが、光明寺はかつて真言宗であったと伝え、大日如来像の存在を重視すれば、もとは五智如来像をなしていたことも考えられ、そのうちの一躯であった可能性もあろう。


毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)


【法量】像高169.0cm

【概要】木造(一木造)、彫眼、現状素地

【制作年代】平安時代後期

髻を結い、銅製の宝冠(後補)を戴き、眉を吊り上げて両目を見開き怒りを表す。口はへの字に閉める。甲を着け、左手に宝塔、右手に戟を持って腰を左に捻り、邪鬼の上に立つ。

頭体幹部を通して髻、両腕の肘までを含んで一材から造る一木造の像である。材はカヤまたはヒノキか。内刳りは施さない。両肘より先、大袖の肘から垂れる部分を矧ぐ。右腕の肘より先(大袖を含む)、左腕の肘より先、左大袖の下半部、両脛半ば以下、戟、宝塔、邪鬼、框座、光背は後補。両肩より前方に垂れる天衣遊離部を欠失する。

頭部が小さく、長身の体とややバランスを欠くが、豪快な木取りが古様である。動きの少ない体勢、痩せた体、面部などの浅い彫りから、平安時代後期の作とみられる。不動明王と毘沙門天を一具で造ることは、平安時代から行なわれた。

この二躯を随える中尊には、阿弥陀如来(阿弥陀三尊)、十一面観音などがある。大日堂大日如来坐像とともに市内に残る稀少な平安時代の古仏として貴重である。


不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうぞう)


【法量】像高163.8cm

【概要】木造(一木造)、彫眼、現状素地

【制作年代】平安時代後期

頭髪は巻髪で、弁髪を左肩に垂らす形(欠失)。両目を見開き、唇から牙を出す。しかし、この面部は木地に木屎を盛り上げて造っており、朽損していたものを後世補ったものである。条帛を着け、上端を折り返す裙をはき、腰布を巻く。腎釧、腕釧(いずれも列弁・紐・連珠・紐・列弁で構成)をつける。

頭体幹部を通して、左腕の前膊までを含んで一材から造る一木造の像である。材はカヤまたはヒノキか。木心を頭部前方やや右寄りに篭め、内刳りは施さない。右肩より先、左手首先、両足首以下、両耳、鼻、眉、下唇、持物、台座、光背は後補。

胸や腹の豊かな肉付き、腰をやや右に捻る体勢のおおらかな姿から、平安時代後期の作とみられる。


住職のご挨拶


裾野市光明寺住職の松岡広也でございます。当山ホームページのリニューアルにあたりご挨拶申し上げます。 先ずもって令和2年7月豪雨被害でお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。被災された皆さまが一日も早く平穏な生活に戻られますことをお祈り申し上げます。

本年は、新型コロナウイルス感染症が世界中に広がり、国内での感染拡大防止も困難を極める中で、今後我々がどのように生活していくべきなのか社会の方向性も未だ定まりませんが、このような困った時こそ、お釈迦さまの教えに立ち戻って仏教徒として慈愛に満ちた生き方をしたいものであります。

コロナ禍で多くの方が“ステイホーム”されている中で私自身も“ステイテンプル”しておりました。住職であれば当たり前のように思われるでしょうが、私どもも法務や会議などで出張することが多々ありますので、実際にこれだけ留守することなくお寺に居続けたのはご本山での修行から戻って20年で初めてのことでした。

諸行無常(すべてのものは常に変化しているという教え)が仏教の中でもっとも大事な三つの教え(三法印)の一つであるとは言え、社会のあり方がこれだけ急激に変化することは誰も想像していなかったことでしょう。その中でお寺がどのようにあるべきかをずっと考えておりましたが、コロナ禍にありましても、細心の注意を払いながらほとんどの方が今まで通りお葬式やご法事をされてきました。

コロナ禍にありましても、いつもと変わらず作ったお米やお野菜をお寺にお届けくださる檀信徒の方がたくさんおられました。このようにどんな困難な状況であっても皆さまの祈りと善意の想いが集まる“お寺”の素晴らしさを私自身が再確認できたことは僧侶として無上の喜びを感じると同時に、社会が今まで経験したことのない状況になったからと言って、特にこれまでのお寺のあり方を変える必要がないということを確信できました。

むしろこのような時だからこそ、お釈迦さまが生涯をかけて実践されたように、私が御本尊さまからいただいている尊い仏縁を一人でも多くの方に繋げるというお寺本来の役割を今まで以上にしっかりとお務めしなければならないと強く感じております。

光明寺が、檀信徒の皆さまはもちろん、一人でも多くの方々との繋がりを結ぶ現代的なきっかけとして新しくホームページをリニューアルすることで、お寺の活動や情報をより分かりやすく皆さまにお伝えすると同時に、お寺へ入口を幅広く設けたいと思います。ご葬儀やご法事のご相談はもちろんのこと、坐禅会や写経会、仏教の勉強会だけでなく、小中学生対象のプログラミング教室(ロボ団裾野光明寺校)も開いており、お寺を文化的教育的スペースとしてもこれからますます活用して参りたいと考えております。どうぞご自身の繋がりやすい方法で皆さまの御縁を光明寺にお繋ぎいただけましたら幸いです。

末筆ながら、一日も早い新型コロナウイルス感染症の終息とともに、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

合掌


般若山 光明寺 27世 松岡広也


住職プロフィール

平成9年 早稲田大学教育学部理学科地学専修卒業

平成12年 駒澤大学仏教学部仏教学科卒業(編入学)

平成12年 大本山總持寺修行(平成13年9月まで)

平成23年
全国曹洞宗青年会第19期会長(任期二年)
全日本仏教青年会第18期副理事長(任期二年) 

平成24年 曹洞宗静岡県光明寺住職就任(在任中)

平成26年 大本山總持寺大遠忌局書記(企画研修担当)(平成28年3月末まで)

平成28年 世界仏教徒青年連盟顧問(令和3年9月まで)

平成29年 寺子屋ラボ裾野光明寺校開講(現ロボ団裾野光明寺校)

令和元年
全日本仏教青年会第22期WFBY執行特別委員長(任期二年)
WRO Japan2019 決勝大会小学生エキスパートクラス3位入賞
WRO 2019 HUNGARY出場(日本代表コーチ)

令和2年 明るい社会づくり運動静岡県裾野地区協議会副会長


 

「光明寺」トピックス

ペットと共葬も魅力、人気急増の樹木葬墓

日本を代表する庭園デザイナー石原氏が造る樹木葬・光明寺「裾野の森」9 月 20 日の彼岸の入りにグランドオープン


樹木葬墓のプロデュースとお寺のコンサルティングを行う株式会社366(所在地:東京都港区、代表取締役CEO:伊藤照男)は、静岡県裾野市の曹洞宗光明寺に境内で、日本を代表する造園デザイナー・石原和幸氏がデザイン監修をした樹木葬「裾野の森」をプロデュースし、9月 20 日(月祝)にグランドオープンとなる開園法要を実施。


■樹木葬「裾野の森」の特徴


#庭園デザイナー石原和幸氏がデザイン監修しました。
石原和幸氏(63)は、日本を代表する庭園デザイナー。イギリスのエリザベス女王主催の造園コンテスト で 11 度の金メダルを受賞。静岡県の「ふじのくにづくり」リーディングアドバイザーを務めるほか、 ふしくに茶の都ミュージアムの日本庭園のデザインを手掛けました。


#購入者が急増している樹木葬タイプのお墓です。
先祖代々承継してく伝統のお墓スタイルは、近年、急変しています。お墓仲介サイト「いいお墓.com」 を運営する株式会社鎌倉新書の調査によると、2020 年に新たに墓地を購入された方のうち 70%超が、 子どもに承継しない形のお墓を購入しています。



樹木葬「裾野の森」は、家族に代わって、お寺が供養を永続するお墓。介護保険と同様、家族だけで永続できなくなった機能を、社会で支えていく仕組みが永代供養です。


#ペットも一緒に弔い

15 歳以下の子どもの数(約 1500 万人)よりも家庭でしいくされている犬・猫の方が多い(約 1800 万 頭)日本では、ペットは家族同様に大切な命で、その弔いにも人間同様の感情が注がれる時代です。樹 木葬「裾野の森」はペットも人間と一緒に弔えるお墓です。


■霊園概要

霊園名 : 光明寺樹木葬「裾野の森」

所在地 : 〒410-1112 静岡県裾野市公文名 342 光明寺

アクセス : JR 御殿場線「裾野」駅 徒歩 25 分

見学時間 : 9:30〜16:30

定休日 : 水曜日・木曜日



鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

曹洞宗般若寺 光明寺
〒410-1112 静岡県裾野市公文名342 (公文名343) 電話:055-992-2888

公益社団法人 神奈川県観光協会
〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町1電話:045-681-0007

一般社団法人 加賀市観光交流機構
〒922-0811 石川県加賀市大聖寺南町ニ41 加賀市役所別館4階 電話:0761-72-0600



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アーカイブ リンク記事をご覧ください。


ZIPANG-2 TOKIO 2020「弘法大師 空海の世界遺産高野山真言宗 総本山金剛峯寺」

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高野山から世界平和を祈る。「〜World peace gathering 2019 in Koyasan〜 開催」

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ZIPANG-5 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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