出石町のある兵庫県豊岡市は、人と自然が共生するまちづくりのシンボルとして、コウノトリを「市の鳥」に制定。故郷の山と川と町の上空を悠々と飛ぶコウノトリ。
今日はどこの家に幸せを運ぶのかな・・・
コウノトリの故郷 山と川に守られた天然の城郭、出石の城下町。
タイムスリップしたのか?出石の町。町並みに溶け込んだ…レトロな服装の観光客のお嬢さんたち(出石のランドマーク「辰鼓楼」前)カメラ小僧から「振り向いて~」の声が飛ぶ…
出石町は、
「古事記」「日本書紀」にも名前が載る歴史の古い町なのです。
室町時代には、「太平記」に登場する山名時氏(ときうじ)が但馬地方を制圧し、その子時義(ときよし)は、宮内の此隅山(このすみやま)に本拠を構えたのでした。
しかし、戦国時代に入って、山名氏はその勢力を失い、山名祐豊(すけとよ)の時に織田軍の羽柴秀吉に攻められ此隅山城は落城。祐豊は城を有子山に移し守りを固めたが、天正8年(1580)に秀吉の弟秀長(ひでなが)により遂に有子山城は落城、山名氏も滅ぼされました。
秀長は城を木下昌利に守らせ、その後城主は青木甚兵衛、前野長康と変わったのち、播州竜野から小出吉政(よしまさ)が領主として封ぜられ五万三千石を領しました。その子吉英(よしふさ)の時に山城を廃し、山麓に平山城を築き城下町づくりを行います。
江戸時代
小出氏は九代、約100年間続きましたが跡継ぎがなく断絶し、元禄10年(1697)に武蔵国岩槻より松平忠徳(ただのり)が移封された。
宝永3年(1706)に松平氏は、信州上田の仙石政明(せんごくまさあきら)と国替えとなり、その後仙石氏は七代にわたって出石藩を治めたが、天保6年(1835)の仙石騒動により、三万石に減封され明治に至ります。
出石名物 工芸品出石焼きと出石皿そば そして…出石桜
出石の伝統工芸である出石焼はこの江戸時代中期に始められ、また、特産の出石皿そばは、仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのがはじまりとされています。
出石城址と満開の桜 「日一日 惜しむが如く 城の春」 鎹八咫烏
出石家老屋敷
家老屋敷「長屋門」
白亜の土塀と長屋門のあるこの屋敷は、高級武士(家老級)の居宅として使われたものです。出石城の内堀の近くで、江戸時代後期の上級武士の居住区であった内町通りに面して建っています。
建物の外観は、平屋建に見えますが、内部には隠し階段が仕組まれており二階建です。二階は刀を使い難くするためか天井は低く造られ、屋根上への通路も存在します。
これらは、襲撃に備えて造られたものと推定されています。 江戸時代における三大お家騒動の一つに挙げられる仙石騒動の中心人物である仙石左京の屋敷跡に建っているので、「左京屋敷」とも呼ばれています。
展示物には、仙石騒動の資料をはじめ無形文化財の大名行列諸道具など出石藩に関する貴重な資料を公開しています。同じ敷地内には隣接して豊岡市立美術館-伊藤清永記念館がありますので、是非こちらもご覧ください。
家老屋敷(右)と、伊藤清永美術館(左)
家老屋敷全景 落雪を防ぐための屋根の雪止めが印象的ですね…
庭の手入れが行き届いています。冬には雪吊りが観られそうです。
家老屋敷入口
建物・施設内展示物
長屋門を入ると正面に家老屋敷の入り口が見えますが、実際に家老屋敷として建っていた当時は、現在の美術館の位置にありました。
耐震補強を実施し、館内は一部、ふすまなどが入っていたところが、壁化されています。当時の間取りは館内の図面で確認していただくことができます。
正面からみると平屋建に見えますが、館内に入ると隠し階段から、2階に上がることができます。
家老屋敷図面
出石城下図
大名行列の槍
入り口を入ると右手に出石城下図があり、当時の町並みの概要が確認でき、家老屋敷の位置がわかります。
大名行列の諸道具
子供大名行列の諸道具
大名行列の駕籠(かご)
館内は大名行列の諸道具が展示されております。実際に当時から使われていた貴重なものもたくさんあります。
書院造りの意匠
二階への隠し階段 伊賀・甲賀の忍者屋敷のようですね~ そう言えば、天井裏収納階段(ユニット)として現代住宅にも生かされている。まさに「温故知新」・・・
天井の低い二階部 これも、かって名古屋のビル建築で生かされたことも⁉天井高を低くして1階でも多くしたいという名古屋的発想か?( ^ω^)・・・
当家老屋敷は、出石城内に残る唯一の江戸時代の武家屋敷です。
座敷に到達するまでに、いくつも並べられた畳の部屋や書院造の意匠は、上級武士のただずまいを伺い知ることができます。
武家の建物としては珍しく二階がありますが、隠し階段から人が上がってくることをすばやく確認できるように壁がくりぬかれたり、刀が使い難いように天井高を低くするなどの工夫がされています。
正式名称 豊岡市立出石家老屋敷
愛称 左京屋敷
営業時間 9:30~17:00(最終入館16:30)
休業 1月1日、11月3日、12月31日
料金 大人200 円(160円) 高・大学生120円(100円) 小・中学生無料
※( )内は団体割引料金、団体は20人以上
※障害者手帳をお持ちの方は半額
お問い合わせ TEL.0796-52-3416
住所 〒668-0214 兵庫県豊岡市出石町内町98-9
交通アクセス 豊岡駅から出石行きバスで 20 分出石営業所から徒歩で 5分
伊藤清永美術館全景
豊岡市立美術館-伊藤清永記念館-について
当館は、1987(昭和62)年の合併30周年記念事業「現代洋画の重鎮・伊藤清永展」の開催を契機に、伊藤清永画伯※らから出石町に作品の寄贈を受け、その保存と功績の顕彰および郷土の芸術振興のため1989(平成元)年に開館しました。
伊藤画伯など地元出身の芸術家による作品を展示する常設展(収蔵作品展)のほかに、年2~3回の特別展を開催しています。出石の名所「辰鼓楼」からも近く、出石観光の際に立ち寄ってご覧いただくことができます。
注:展示スペースの関係上、特別展期間中は収蔵品を展示していない場合があります。収蔵品の展示状況など、詳細は美術館にお問い合わせください。
※伊藤清永画伯
伊藤 清永(いとう きよなが)
伊藤清永は1911(明治44)年兵庫県豊岡市出石町下谷(しもたに)に生まれ、白日会・日展を中心に活躍した文化勲章受章の洋画家です。繊細な色線を無数に重ねて描き出される豊麗優美な裸婦像で知られています。
岡田三郎助の薫陶を受け、東京美術学校(現 東京藝術大学)在学中の1933(昭和8)年第14回帝展に初出品、初入選。1936(昭和11)年の文部省美術展覧会監査展で選奨を受賞し、画家への道を歩みはじめました。
また、大学時代から出品を続けていた研究団体「白日会」では後年に会長を務め、後進の教育に尽力しました。
一貫して女性美の表現技法を追求し続け、70年近い画業で築き上げた温かみのある独自の画風は、現在でも見る人を魅了しています。
2001(平成13)年6月5日軽井沢のアトリエで制作後に急逝し、制作中であった「ばら」数点が絶筆となりました。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
出石観光協会(NPO法人 但馬國出石観光協会)
〒668-0214 兵庫県豊岡市出石町内町104-7 TEL 0796-52-4806
株式会社 出石まちづくり公社
〒668-0214 兵庫県豊岡市出石町内町104-7 電話:0796-52-6045
豊岡市出石庁舎 〒668-0292 兵庫県豊岡市出石町内町1 電話0796-52-3111
豊岡市役所 〒668-8666 兵庫県豊岡市中央町2番4号 Tel:0796-21-9016
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
現在、1300件以上の記事掲載。
豊岡市出石(その1~3)や宗鏡寺(沢庵寺)の記事も下記のサイトからご覧いただけます。
250件ほどのリンク記事をご覧いただけます。
ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/
235件ほどのリンク記事をご覧いただけます。
ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/
200件ほどのリンク記事をご覧いただけます。
ZIPANG-2 TOKIO 2020 (VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/
615件ほどのリンク記事をご覧いただけます。
ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/
0コメント