提案1「生きとし生けるもの 山川草木 天空海大地 皆幸せであれ」
なぜか夕陽の茜色の持つ癒やしと包容力が、この場に憩う人々に、未来社会に向かうために大切な幸せへの連帯感をつくりだす。
ここは名古屋市の東のほぼ真ん中。名古屋港、鈴鹿山脈、伊吹山、御岳山から日本アルプスの南端を360度見渡せる住宅地の真ん中に雄大な丘である滝の水公園の頂上が存在。
伊勢湾台風の残材集積の上に造られた、なかなかのリラックス感ある市民の幸せの天空の聖地? 太陽が沈む時、人は子供から高齢者まで茫然自失の幸せな時が訪れる。
自然な静寂と沈黙は現代人の心のリクリエーションなのかも。そして古代人のように夕陽を眺め、明日への心を整える。
住宅地の真ん中に雄大な丘が出来たのは、伊勢湾台風の大きな災害を経て、当時の担当者たちは数十年先を読んだのであろう。
そこから今学ぶべきは、
新コロナ後の展開も、少なくとも予測されるわが国の思わしくない近未来である、2050年問題を視野に入れて取り組むべきであろう。
地球上の生き物は、皆自然に依って生きてきた。人間もあらゆる生き物はその環境に生まれ、時には戯れ合い、楽しそうに活動し、ゆったりと景色を眺め、また艱難辛苦を乗り越え世代交代をし、種を保存し生きて来た。幸せとは生きる権利とその環境にある。
人間によって狭められた環境に生きる他の生物も同様だとすると、筆者は他の生き物が、不本意にも不自由な環境に耐える動物園や、人の食料になる家畜の環境、人に従属するペットなど、その痛ましさを思う。人も人間社会の中で程度の差はあれ同様の喜怒哀楽に生きるのだが、今何かが大きく間違っているようである。
一つはやっと人間優先からエコや自然保護に目が向いたが、人の痛みへの視線は未だ不十分過ぎるのである。現代環境は富者や健康な一般人が基準であり、社会的弱者や今や膨大な数に上る精神的病理を抱える弱者に対しては、ほんの一部しか救えていない。その中に今高齢者が参入する。
何故か高齢者の居場所については、ここでは静かに時を過ごせる唐風の東屋が夕陽を見るのに良い位置にある。私たちの文化のDNAを、はるか昔に唐から学んだ唐招提寺のあの穏やかなイメージを未来へ引き継ぎたいと思う。
幸せな時間と空間から三々五々つづら折りの長い階段を降りて家路につく、そして幸せを願い現実の暮らしに戻る。
生きものに共通する幸せとは何であろう
環境デザインの使命
人類は過去も現在も主に集団での争いと融和とに終始して来た。今も世界の国々は古代王国盛衰の延長で、先の悲惨な大戦をも経験したが実態は変わっていない。
国際連盟そして今の国連があり、共有幻想で何とか続いているが、民族、宗教、権力、あるいは貧富の格差で争いは絶えず、その実態は生き物の本能、弱肉強食、食物連鎖、自然淘汰、種内部の抗争、縄張り勢力争いで、幸せを奪い合う体質は有史以前から全く変わっていない。
その中で他の生き物達は助け合い、共存し、種の保存も限度をわきまえ、食い合い、あるいは共生し、それぞれの生を繰り返す。
万物の霊長を自負する人間も同様ではあるが、いつしか人類は他の生きとし生ける存在を忘れてしまったその罪は測りしれない。
即ち、自然界の摂理をわきまること、生態系を破壊しないこと、他の痛みを想い共有すことことが大切である。
そして他の生き物の死骸まで化石燃料と言って掘り尽くし汲み尽くし、大地を壊し大気や水を汚し、利他を顧みず、都合よく幸せを謳歌している。これは幸せを考える時、避けては通れない課題である。
提案2 「今、日本は年5百もの学校が消える」
廃校、廃線、廃屋、数10万のいじめ、引きこもり、詐欺、自殺、人口減少などなど、人の業を麗しき風景で克服する理想を、夢見て語りあうことがあれば、どんなにも快いことであろうか。各地で進められている意義のある事例は数あるが、さらに一歩進んで過去現在未来へとやんわりと繋がる2例を取り上げる。
夢の廃校活用事例1
もともと学校はいずれも、地域の特色とゆったりとしたロケーションにあることは多いが、この事例は地元出身の西欧で心の彫刻家と言われる 安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ 美唄(びばい)である。地域と自然と境界のない悠久の心のアート環境と、廃校の活用にカフェが環境の質を維持している。
一般的にも古き良きものを未来へ引き継ぎ活かすには、景観の内と外に優れた現代感覚を投入することが大切である。 外部から自由に入れる境界のないこの敷地と廃校は、勉強会の教室や、落ち着いたカフェの美味な飲食空間があり、クマも出没する森と広場と廃校を含め全体の運営費は、なんとカフェの売り上げで賄うという。
アートは廃校の佇まいを際立たせ、空間は懐かしさが蘇る。
自然と廃校と現代アートの心が一体となり、空の青と、大地の緑と白い彫刻と水場と赤い屋根の廃校が、未来への希望を語り合うような風景である。物質文明の改善は大自然とアートの心にある。
丁寧なリノベーションは、古い校舎も落ち着いたモダンなレトロ空間に変身する。
話が聞こえるような、大切な心遣いが感じられる。ほどよく配置されたカフェの外部空間は心が和む。
事例2:美瑛の畑の中の緑の心寿ぐ空間
元学校を感じさせない色彩とデザインの、簡素でリッチな廃校の活用例である。地域のドミナンス:雰囲気が一体化した環境の色彩計画、モダンな感性の機能的配置の組み合わせ。良質な地域の食材とサービス、それがレストランのしつらいと料理に結実している。
なだらかな起伏の美瑛の風景の特徴と調和した、校舎と新たな建物との構成であり、優しくひとりでに奥へと招かれる。
リノベーションの力は学校らしさも引き立て、廃校がプラスの力になっている。
地域の特産を食や空間に生かす思想が、麦のオブジェの存在にも力強く現れている。
下の畑に繋がるプロムナードへ降りる階段も、穏やかな農地の風景と調和し、何気なく役目を果たしているようだ。
掌から宇宙まで
人の幸せは掌から宇宙まで、物事を自利と利他を総合的に考え、トータルデザイン環境の文化を謳歌することが出来れば幸せになれる。
古代文明のインカもアステカも、縄文もエジプトも中近東も、インド、中国なども、人工物は自然という神に敬意を払い、自然と調和する目的で美しく力強く造ってきた。
しかし産業革命以来、新しきことは必ずと言って良いくらい、悠久の大切な良きことを失念させ、壊し、失うことを道連れにし、新しき利と珍しさに人は希望と活路を見出したと思い、飛びつくが、その命の短さと虚ろな結末を見て来た。目先のきく人は即座に利に走るが、もっと大切な多くの人々の心には、空虚さだけが残ることになる。
脱物質文明の未来は、自然と人、人と人の調和と共に、
神と人の復活再生が必要になるだろう
今世界遺産に指定され苦悩しているところが世界中にある。気まぐれな一時的利は、観光客目当てに道路を拡張し、麗しき街並みの表を剥ぎ取り、駐車場を、ホテルを、売店を、看板を、働き口を作る。それらは儲けの少ない伝統的産業を衰退させ、地域の幸せのバランスを崩し、騒がしさという活気と、ゴミ捨てに困り、人の和を分断する。
人の心と風土と伝統を、地域の風景を、身勝手な新しき商売は、長い年月で磨かれた地域連携や助け合いの絆と、思いやりの心を失い、貧富の差を広げ、自然と人、あるいは神と人、人と人の調和を無にする。
しかしそれらを取り戻すことはそれほど難しいことではない。そっぽを向かず共に些細な小さなことから、何かしら人を元気づける温かい心づかいで、小我である自らと、大我である社会のそして国の復活再生を可能にするだろう。
以上は廃校だけのことでなく、ウイズ・アフターコロナ 日本の未来づくりに共通する元であると考えている。
次回へ続く・・・
【寄稿文】林 英光
環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
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