弥彦の大鳥居
弥彦神社の本殿
弥彦山頂の石鳥居
新潟県の霊山弥彦山
新潟県西蒲原弥彦村に、標高634mの弥彦山があり、この山を神体山とした弥彦神社があります。創建年代は不詳ですが、その歴史は非常に古く、万葉集にも歌われています。弥彦神社に続く道には、高さ30メートルの大鳥居があり、弥彦神社のシンボルとなっているほか、弥彦山頂にも立派な石鳥居があり、祭神である天香山命(あめのかごやまのみこと)を祀っています。
宝光院阿弥陀堂
宝光院に伝わる鬼婆伝説
弥彦神社の隣に真言宗宝光院があります。建久6(1196)年に龍池寺として創建され、その末寺である宝光院が残ったものです。
この寺の阿弥陀堂に妙多羅天女が祀られています。この天女はもともと鬼婆であるとされ、次のような伝承が残されています。
大工の弥三郎が仕事で帰りが遅くなった時、狼の群れに襲われる。逃げるために木に登ると、狼たちはヤサブロバサを連れて来いと言う。鬼婆がやってきて、弥三郎を捕まえるために木に登ってきたので鉈で額を切りつけ、ひるんだ隙に逃げ帰る。
帰ると母が怪我をしたと言って寝込んでいる。額に傷があるので、鬼婆であることがわかる。高僧が改心させ、妙多羅天女となる。
地域によって内容が若干異なりますが、おおむね上記のような伝承となります。内容は全国的に広がる鍛冶が嬶や小池婆などと同じような千疋狼の伝説と同じです。
宝光院阿弥陀堂にある妙多羅天女
宝光院阿弥陀堂、阿弥陀姥神 阿弥陀如来の向かって右にある妙多羅天女像
(こちらが非公開の妙多羅天女像と酷似しています)
この妙多羅天女像は普段は非公開で、毎年10月15日に御開帳しています。しかし、その非公開の像の他に、この堂の本尊である阿弥陀如来像の両脇にも天女像があり、向かって右側の像が妙多羅天女像とよく似た姿をしています。これらは出開帳用に造られた妙多羅天女像ではないかとされています。
宝光院阿弥陀堂、阿弥陀姥神 阿弥陀如来の向かって左にある妙多羅天女像
妙多羅天女も姥神像?
この妙多羅天女の像を見ると、大きく見開いた目に口を開き、あばらが浮き出た胸をはだけ、片膝立ちの姿と、姥神像の特徴を兼ね備えています。さらに真綿を被っており、咳の姥神の要素も含んでいます。これらから、もともとは姥神像だったのではないかと考えられます。
なお、妙多羅天女というあまり聞きなれない名前ですが、似たような名前の神様に、京都太秦広隆寺にある大避神社の牛祭りに登場する摩多羅神というものがあります。あくまで私の考えですが、新潟の「みょうたら」、京都の「またら」はどちらもミロク菩薩と同じように、もともとは古代ペルシアの「ミトラ」神信仰が元になっているのではないかと考えています。
東京都足立区明王院にある弥彦尊
東京などにも弥彦信仰が
東京都の足立区にある真言宗、明王院に、弥彦尊と呼ばれる仏像が祀られています。その縁起はよくわからないようですが、その姿を見ると宝光院のものと似ていること、弥彦という名が付いていることから、弥彦山のものを勧請したのだと思われます。ちなみにこの像、咳に霊験があるとのことで、東京の姥神像としての性格も持ち合わせていたようです。
また、山形県高畠町に妙多羅天が祀られており、姥神像のようなものはないのですが、縁起によると新潟と同じ弥三郎婆が妙多羅天となったとされ、弥彦山との関連も見ることができます。
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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