水無瀬神宮 神門
水無瀬神宮について
天王山※¹の麓、北摂の住宅街の中に鎮守の杜に囲まれた神社。
自然の恵みを感じること、それは「あたりまえ」に対する感謝の心。
四季を感じ自然の恵み、命の源、水への感謝の心を感じる時間が流れる。
※1 後年の軍記に、南北朝や応仁の乱では戦略上の要地として当地は争奪の舞台となり山城も築かれる。特に有名な故事として「天下分け目の天王山」とする言葉は天正10年(1582年)6月に信長を討った明智光秀に対する仇討ちを企てた秀吉の戦いはこの天王山で繰り広げられた。…とある。
御由緒と御神徳
当宮は鎌倉時代、時の流れに翻弄され遠く都を離れた隠岐、佐渡、阿波でお隠れにになった三天皇の御霊を弔うために後鳥羽天皇縁りの水無瀬の地に建立された。
この地は、後鳥羽天皇が都から足繁く通われた「わがふるさと」と思し召された水無瀬の離宮跡であり、「後鳥羽天皇御手印置文」(※²)隠岐での19年の年月を過ごされていてもなお忘れることのできない思い出深い土地である。
この水無瀬は都から近く、淀川を利用して船の便もあり、桜、山吹、菊なども多く、また木津、宇治、桂の三川の合流点、しかも両岸に小高い山々が迫り、眺望が非常に美しい土地であり多くの歌や文学も生まれ後鳥羽天皇の命により編纂された勅撰和歌集「新古今和歌集」は有名である。
後鳥羽天皇は生前、多芸多能、文武両道にすぐれた才能を発揮されたので、朝廷、武家からも崇敬され現在も学問、スポーツの神として崇められている。
また、正平二年(1347)五月には、足利直義(尊氏の弟)が夫人の安産祈祷を行い無事男児をもうけており、それにより今でも安産祈願の申し込みは多く、社頭で腹帯の授与もしている。
※² 隠岐で19年過ごされた後鳥羽天皇60歳の春、ご自身の余命も長くないと覚悟され御自身の両手に朱印を付けしたためられた。これを書かれて2週間後にお隠れになった天皇の御意志である
「我後生を返々とぶらふべし」
との一文により、御霊をこの水無瀬の地にお遷ししてお祀り申し上げた当宮の起源となる宝物である。
御祭神
第八十二代天皇 後鳥羽天皇
第八十三代天皇 土御門天皇
第八十四代天皇 順徳天皇
御社殿(登録文化財)
登録年月日:2016年8月1日
御本殿、拝殿、渡廊、神饌所など一連の建物がある。御本殿以外は昭和4年建立。御本殿は京都御所の旧内待所を江戸時代初期の明正天皇の御代に下賜になったもの。入母屋造屋根で古くは瓦葺きであったが昭和4年檜皮葺、昭和49年銅板葺きに改められ現在に至る。(拝殿は内務省技師角南隆氏の設計)
御社殿について
入母屋造、銅板葺(元檜皮葺)、桁行(けたゆき)3 間、梁間(はりま)2間の社殿で、明正天皇(めいしょうてんのう)の内侍所( 三種の神器の一つである八咫鏡を安置したところを移築したものと伝えられている。
内部は内陣と外陣に区画され、敷地は三方に瓦葺きの築地塀(ついじべい)五条が巡らされ、背面の中央に門、社殿の周囲に雨落溝(あまおちみぞ)が配され、本殿はその中央の亀腹基壇(かめばらきだん)の上に据えられた土台の上に建築されている。簡素ながら風格のある意匠を備える社殿で、江戸前期にさかのぼる宮殿建築に由来する建物である。
客殿(重要文化財)
重文指定年月日:1926年4月19日
豊臣秀吉 長浜曳山まつり太閤秀吉図
境内建物の中で最も古く桃山時代豊臣秀吉献納と伝わる。
福島正則公造営、入母屋造り桃山末期の建築。
客殿について
拝殿(はいでん)に向かって左側にあり、豊臣秀吉からの寄進で、造営奉行は福島正則と伝えられる。
桁行(けたゆき)六間、梁間(はりま)五間の入母屋造(いりもやづくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)。全体の形式手法は書院形式で、規模、形式ともに標準的で比較的簡素な造りになっている。
神門(登録文化財)
登録年月日:2016年8月1日
薬医門造、本瓦葺でくぐり戸がついている向かって右側の柱には石川五右衛門が改心の証としてつけられたと伝わる手形が残っている。
神門について
参道の突き当たりに構えた門で、控え柱を設けた薬医門(やくいもん)形式、屋根は切妻造(きりつまづくり)、本瓦葺き(ほんかわらぶき)、軒は一軒の疎(まば)ら割りである。
本柱の挿肘木(さしひじき)の方斗(ほうと)で支持された男梁(おばり)が軒桁(のきげた)を支持している。
小屋組(こやぐみ)は、男梁の上に立てられた撥束(ばちづか)に実肘木(さねひじき)を設けて棟を支え、妻には梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)が施されて、扉は観音開きの板唐戸(いたからと)である。
門の両脇に築地塀を備え、本殿と同様江戸前期にさかのぼる離宮跡地に相応しい格式を示すものである。
手水舎 / 離宮の水(登録文化財)
名水百選「離宮の水」
水無瀬神宮手水舎(離宮の水)取水の様子
取水時間は午前6時から午後5時まで。(1回20㍑まで)
手水舎(離宮の水)について
神門の北寄りに位置し、屋根は入母屋造(いりもやづくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)、妻面には木連格子(きつれごうし)、梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)が施されている。
大正期に建てられたもので、石鉢の正面に「奉納盥漱」(ほうのうかんそう)、側面に「構社」(こうしゃ)と刻まれている。
この水が 昭和 60 年に大阪府内で唯一 、環境庁(現・環境省)選定の「全国名水百選」に選ばれた 。
水無瀬神宮の境内にある水汲み場には、連日早朝から多くのかたたちが取水に訪れて 現在でもアトピー性皮膚炎がよくなったなど体の調子がよくなるとの声は絶えず、多くの方に愛され保存活動も活発に行われている。
燈心席(重要文化財)
重文指定年月日:1926年0月19日
燈心席見学には事前に5名以上でご予約されれば500円(1人)で拝観可能(中学生以下は不可)
燈心席について
茅葺寄棟造(かやぶきよせむねづくり)。
御所から移築したものと言われ、一般に「灯心席(とうしんせき)」または「灯心亭(とうしんてい)」と呼ばれている。
これは、茶室の格天井(ごうてんじょう)に山吹(やまぶき)、トクサ、ヨシ、萩など十種余りの灯心 の材料とされた草木を用いていることからの名称である。昭和初期以前は「七草の席」とよばれた。
水無瀬駒(島本町指定文化財)
平成27年七月1日
島本町文化保護条例の記念すべき第一号に「水無瀬駒」が指定された。
水無瀬駒について
水無瀬神宮の13代目の宮司を務める水無瀬兼成(みなせかねなり)は、安土桃山時代の公家で、能筆家であった彼は駒の銘を書き、89歳で亡くなるまでに700組以上もの将棋駒を制作している。
将棋駒の先が細く薄く、手前が肉厚幅広な形は兼成が確立させ、以後、高級な駒の形はこれに倣っている。また、江戸時代には、「将棋駒の銘は水無瀬家の筆を以って宝とす。この筆跡の駒、免許なきもの弄すべからず」
とまで言われ美術的価値が高いものとして重宝された。
岡崎公園内に建つ 徳川家康公銅像
譲渡先には後陽成天皇(ごようぜいてんのう)や正親町上皇(おおぎまちじょうこう)、関白豊臣秀次(とよとみひでつぐ)、室町幕府15代将軍 足利義昭(あしかがよしあき)など、公家、大名、高名な武将が挙げられ、徳川家康(とくがわいえやす)には53組もの駒が納められた。
当時の天皇や公家、武将などや、僧侶・神職や商人、大工棟梁たちなど、依頼主が身分的に、また、地域的にも広範囲な層にわたって重要視されていたことがわかる。
枝垂れ桜
春になると客殿の前に美しい枝垂れ桜が咲き誇る。
拝観
自由(※茶室灯芯亭の拝観:要予約 / 往復ハガキまたは電話にて1週間以前にご予約)
※紙本著色後鳥羽天皇像などの国宝は通常非公開です
(島本町歴史資料館(JR島本駅すぐ)に複製があります)
お問い合わせ
電話:075-961-0078(水無瀬神宮)
アクセス
電車:阪急京都本線 「水無瀬駅 」徒歩10分
JR京都線 「島本駅 」徒歩10分、 「山崎駅 」徒歩15分
タクシー利用はJR「山崎駅」が便利です
お車でお越しの方は無料駐車場があります(バスは要予約)
次回に続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
水無瀬神宮
〒618-0011 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10−24電話:075-961-0078
長浜市役所 長浜観光協会
〒526-8501 滋賀県長浜市八幡東町632 電話:0749-65-6521
一般社団法人 岡崎市観光協会
〒444-0045 愛知県岡崎市康生通東2丁目47番地電話:0564-64-1637
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
後鳥羽天皇関連情報は下記のアーカイブ リンク記事をご覧ください。
ZIPANG-5 TOKIO 2020
後鳥羽院に由緒がある伝承と文化「隠岐諸島の一つ海士町(あまちょう)[1]」
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18174785
ZIPANG-5 TOKIO 2020後鳥羽院に由緒がある伝承と文化「自立・挑戦・交流×継承・団結 〜心ひとつに!」みんなでしゃばる(引っ張る)島づくり〜[2]
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18534864
現在、1500件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。
250件ほどの記事をご覧いただけます。
ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/
235件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/
200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG-2 TOKIO 2020 (VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/
615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。
ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/
最新の記事をご覧いただけます。
ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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