群馬県下仁田町
前回、群馬県の甘楽町を紹介させていただきましたが、今回は同じく群馬県で隣にある下仁田町です。
下仁田町は、ネギが特産の人口約6千人の小さな町ですが、なんといっても日本三大奇景のひとつ、妙義山があります。ここが同町の一番の観光名所であり、垂直にそそり立つ奇岩の景観は他ではなかなか見ることができません。標高は1,104メートルと、さほど高くはないものの、その独特な姿から、赤城山、榛名山とともに群馬県を代表する山として数えられます。
また、その登山口には中之嶽神社がありますが、ここに金色に輝く巨大な大黒天が祀られています。その大きさは20メートルもあり、7階建てのビルに相当するそうです。大黒様は、通常小槌を持っていますが、この神社の大国様は剣を持っていて、これは不動明王と習合したため、もしくは同神社の神宝が剣であるためなどの説があるようです。
年6回ある甲子(きのえね)の日に参拝するとご利益が大きいとされ、その前日には甲子祭も行われています。
善福寺の奪衣婆堂
そんな下仁田町にある天台宗の無量壽山善福寺は、暦応2(1339)年に開山した歴史のある寺です。ここに聖塚堂があり、奪衣婆が祀られています。
三途川は葬頭河とも呼ばれ、ここから三途の川のほとりにいる奪衣婆を、しょうづかの婆と呼ぶことがあります。「しょうづか」は「そうずかわ」が変化したものですが、これに正塚、聖塚の字があてられることが多いため、この寺の堂も「聖塚堂」となっていると思われます。
中の像を見ると、片膝を立て、胸をはだけた女性の姿ですので、まさしく奪衣婆像だと言えます。
奪衣婆を単独で祀るのは姥神信仰の影響か
通常、お寺で奪衣婆を祀る時は、まず閻魔様があり、対として、もしくは十王と一緒にその一部として祀られるのが普通です。ほとんどの寺院では閻魔像と一緒に祀られ、その堂は閻魔堂、十王堂などと呼ばれます。
善福寺と同じような奪衣婆を単独で祀った堂として、例えば香川県さぬき市の志度寺に奪衣婆堂がありますが、近くに閻魔堂もありますので、これも対で祀っていると言えます。奪衣婆ではなく、姥神信仰と考えられる立山の芦峅寺でさえ、閻魔堂があるくらいです。
奪衣婆のみを単独で、堂のなかに祀っていることから、その31※で紹介した甘楽町の姥子堂と同じく、もともとは、姥神として祀っていたもの、もしくは姥神信仰の影響を受けて、奪衣婆を単独で祀ったのかもしれません。
善福寺は地域的にも姥子堂の近くのため、同じような理由で祀った可能性は高いかと思われます。
※その31
ZIPANG-5 TOKIO 2020
全国の姥神像行脚(その31)
群馬県甘楽町「街中に三途の川が!」【寄稿文】廣谷知行
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次回に続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
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