群馬県の墓地に祀られた奪衣婆
吉井町大沢地区の奪衣婆(左)と懸衣翁(右)
吉井町大沢の奪衣婆
群馬県高崎市、吉井町大沢地区の大沢家共同墓地に、室町時代の作として市指定文化財にもなっている奪衣婆像と懸衣翁像があります。ちなみに懸衣翁は奪衣婆が亡者からはぎ取った衣を、罪の重さを量る衣領樹の枝に掛ける役目をもっています。
奪衣婆のほうが大きく、懸衣翁は上部しか残っていません。香炉や屋根も奪衣婆側のみであり、奪衣婆の方が大事にされている感が強く、姥神信仰研究家の私としては嬉しい限りです。
東善寺墓地入り口
東善寺の奪衣婆
また、同県同市の倉渕町にある、小栗上野介忠順ゆかりの東善寺では、その境内、墓地入り口に、通路を挟むように奪衣婆像と閻魔像が祀られています。
小栗上野介は幕末に日本の近代化に貢献した偉人で、同寺境内には墓のほか、その功績について詳しい内容がわかる資料館もありますので、ご興味のある方はぜひそちらもご覧ください。
これらのように墓地に奪衣婆像が、閻魔像、時には十王像などと一緒に祀られている例は全国で見ることができますが、群馬県はその割合が非常に高いと言えます。
寺院の入り口にも
また、墓地に限らず、墓地のある場所として寺院の入り口に奪衣婆、閻魔像が祀られているケースが群馬県で多く見られます。これについても同県はその割合が非常に高いと言えます。
玉泉寺
いくつか例を挙げると、みなかみ町の玉泉寺には大きな像が祀られています。奪衣婆の顔について、歯を見せてはいますが牙もなく、笑っているようにも見え、穏やかな表情に感じられます。
龍谷寺入口
龍谷寺の奪衣婆像
龍谷寺の閻魔像
同じみなかみ町の龍谷寺入り口にある奪衣婆像と閻魔像は、お互いが向かい合って配置されています。この奪衣婆像の後ろには、ちょうど衣領樹のような木があり、趣深い景観を醸しています。
三福寺
東吾妻町の三福寺のものは、その入り口で閻魔と並んで迎えてくれます。こちらの奪衣婆像も、牙もなく、穏やかな表情です。
これらのほか、その27※のみそなめ地蔵で紹介した同じ群馬県の川場村の吉祥寺、沼田市の天桂寺もそれぞれ境内入り口に配置されています。
境界のしるし
群馬県のこれらの姥神像は、閻魔像や懸衣翁像と一緒に祀られていますので、奪衣婆としてつくられたものです。
しかし、その祀り方として、寺院や墓地の入り口に祀ってあるということは、現世との境界のしるしとして置かれたと考えられ、これは姥神が此岸(この世)と彼岸(あの世)の境界のしるしとして祀られていることと同じであり、姥神信仰の影響があったと考えられます。
また、湯殿山の影響で祀られた姥神像には穏やかな表情のものが多いです。群馬県の奪衣婆像も優しい表情が多いので、湯殿山系姥神信仰の影響があったのかもしれません。
※その27
ZIPANG-5 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その27)
~ 吉祥寺のみそなめ地蔵 ~【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/16055977
次回は今回と同じような、奪衣婆と閻魔像が姥神信仰の影響で祀られたと推察されるものをもう少し、群馬県以外の例でご紹介します。
次回に続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
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